花渡川アートプロジェクト2007
100mの水筏が南方に向かう日
花渡川、枕崎、鹿児島 9/28〜30

南方、具体的には沖縄、台湾、中国、フィリピン、東南アジアへとつながる広域な文化の潮流に強い関心をもち、実際にそれらの地でアートプロジェクトを重ねてきた。黒潮文化圏というか、水上文明のネットワーク・エリアというか、この潮流の果たす地球環境に果たす役割は大きい、とますます確信している。
枕崎
Moving Water Days 2007
Water-in-Water
9/27 
<18基の筏を連結し、100mの水筏を創る>
地球温暖化など、深刻な地球環境を変えるパワーは、数値目標の設定といった、先送りのパワーではない。環境を日頃変えるのは、政治や経済だけでは決してない。一人一人の想像力を掻き立て、
変革への意志を当たり前のように駆使する、アートという豊かな領域だ。いま、地球環境問題を見据える人にとって、アートは人の心と心を協働的に結びつける強力なメディアとなるにちがいない。
アートのパワー、恐るべし!
Note by Ichi Ikeda

「いま地方の文化、そのエネルギーを考える場合、『どの場所からでも、世界に発信することが出来る』という確信が重要です。その橋渡しとしてあるのが、アートであると、私は常々語ってきました。花渡川での昨年9月の、たった3日間のアートプロジェクトから、何が生まれるか、半信半疑の人も多かったと思います。それが、国連世界環境デイ展覧会という、世界的に非常に重要な役割をもつ展覧会の中で、展示、紹介することになりました。花渡川から、鹿児島から、オスロへ、そして世界へ、「1st Moving Water Days」が、地球規模の気候変動に対するアクションとして、世界に発信されます。九州南端での3日間が、アートという拡大レンズを通して、大きな膨らみとなって、羽ばたいていく。この素晴らしい展開が実現出来たのも、水箱や背負い子を作る作業に関わってくれた人たち、そして川の中を水箱を運んでくれた人たちがあってこそです。改めて感謝するとともに、更なる大きな発信へと向かう鹿児島からのパワーに期待しています。

多様で複雑化して、もはや人間の手に負えない次元にいってしまったかのような、地球環境問題。その深刻な状況に対して、ひとりひとりの目線で行動に向かう。花渡川アートプロジェクトは、その「誰でもが環境に立ち向かう」時間を、いま紡ぎ出す。
花渡川は、下流のコンクリート岸壁から、次第に草が生い茂る自然の土手になるのだが、河原に下りれる場所が見当たらない。長さ5.5mの筏の重さは半端ではなく、運ぶには10人程の手が必要だ。川面に下ろし、川の中で連結作業を行うには、コンクリートのスロープがある、河口から約2kmのこの場所しかない。午後3時半過ぎ。授業が終わった鹿児島水産高校の生徒たち、20数名が、現場に駆けつけてくれた。川の中で、18の筏をひとつにつなぎ、100メートルの筏を造るという、前代未聞の作業がスタートした。
1st Day
9/28
<100メートルの「水の道」を曳航する日>                 花渡川中流ー河口
朝日新聞2007年9月30日号 鹿児島版
枕崎でメッセージ発信
筏アートで「水救おう

水の大切さを広く訴えようと、枕崎市の花渡川河口に、18基の竹筏をつないだアートがお目見えしている。神奈川県相模原市のアーティスト、池田一さんが手がける環境プロジェクト。総長100メートルの筏に縦1.3メートル、横1メートルの合板パネル9枚を置いて「SAVE WATER」を訴え、鹿児島水産高校の生徒らは29日、紅白の手旗信号で「水を救おう」のメッセージを発信した=写真、本社ヘリから、恒成利幸撮影。
筏は地域の人たちの協力を得て竹林から約300本を切り出し、長さ約5.5メートルの竹を左右5本づつ組んで、中央に「水の道」を作った。
「今まで人間は自然を思うままに使ってきた。今はどう共存するかを考える必要がある。その素材が水」と池田さん。水を媒体として、環境問題や自然との共生をテーマにした作品を国内外で展開している。プロジェクトは30日まで。


「100メートルの水筏」は、やっと河口に辿り着いた。潮の流れがゆったりとしていて、スタート地点から、1時間半は過ぎていた。
2nd Day
9/29
<水信号を送信する日> 
花渡川河口 

15人の漕ぎ手によって、約2kmの川下りを終えて、河口に係留された、「100メートルの水筏」。その筏の上に、9つの、「水の家」と呼ぶ小屋を、積み込む。屋根に書かれたアルファベットを順に読み進むと、「SAVE WATER 水を救え!」。モルース信号の、S-A-V-E W-A-T-E-Rと打ち続ける音が、河口に響く。トン ツー トン  ツーツー -----
白い制服を着た鹿児島水産高校の生徒たちが、紅白の手旗を持って、筏に乗り込む。よ〜し、100メートルの水筏は、まっすぐに並んだ、準備完了。橋の上から、合図の笛が鋭く鳴る。始めの合図の旗、そして順に、威勢よく、手旗が振られる。S A V E ----
特筆すべきこと、その1。
環境アートによって出現したダイナミックな出来事がことさら目立つが、その中で派生したいくつかの環境保全の活動にも触れておきたい。竹林の保全を目指して行った、竹の伐り出し。河原に散在するゴミの、クリーンアップ。「水を救え!」のスローガンを市民へ、など。それらの活動が義務感ではなく、実に生き生きと主体的に行われたのは、ひとつの共有の夢、「100メートルの水筏が南方に向かう日」という誰もまだ見ぬ夢があったからに違いない。彼らは、環境保全という言葉から参加したのではない。今後、ますます深刻化する地球環境問題に人を駆り立てるのは、義務感や被害者意識ではなく、我々の地球に対する共有の夢といったものだろう。今回のようなアートプロジェクトが、その水先案内人として、今後ますます重要になる、と確信した

3rd Day
9/30
<水の集落を形成し、移動する日>
花渡川河口ー東シナ海

河川での環境プロジェクトは、天候次第である。それに、ここ花渡川では潮位次第という要素が加わる。朝日新聞や南日本新聞に掲載された記事を見て、河口の松之尾橋には、朝早くから多くの見物客がやってきた。中には、IKADAという文字の入った帽子をかぶった、いかだ愛好家もいる。しかし、橋の欄干から川面に目を落としてても、そこに見えるのは記事にあった「100メートルの筏」ではない。そこには、中心から放射状に伸びるように、円形に組み立てられた、水の集落がある。潮の満干をしっかりととらえての、時間勝負。潮が引き、再び満ち出す昨日の夕方に、「100メートルの水筏」を「水の集落に」に組み替える必要があった
特筆すべきこと、その2。
「100メートルの水筏」は、長い竹の漕ぎ棒を駆使しても、もはや漕げない深さに来た。小型船が、ロープで結わえて、沖へと引っ張る。しかし、これ以上進むと、引き潮で、戻れなくなる。このギリギリのところで、厖大なドラマを紡ぎ出したアートプロジェクトは完了した。
昼食後、筏の解体作業がスタートした。潮の関係もあって、もたもたしてられない。ユンボで吊り上げ、道路脇に下ろされた筏は、10数人の手で、たちまち解体された。約1時間半が経ったか、現場はゴミひとつない状態になった。竹は、竹山保全をリードした花屋の東久志さんが引き取った。SAVE WATERの屋根パネルは、水産高校が貰い受け、文化祭で展示することになった。水の家は、欲しい人たちの間で、分けられた。荒樫やかずらは、畑で焼却することに。そして、竹を縛った針金は鉄くず屋に。
「作品を残さないのですか?」と、いつの時でも質問される。その度に、私は「物が氾濫しすぎる世界に、これ以上ものを投げ入れることは出来ない」と話す。正直言って、日常の循環システムにのらないアート作品を、無批判に作り残すということには、罪悪感すら感じることがある。それ故、20年以上前から、「ポスト・オブジェ・カルチュア もの以後の文化」を提唱し、実践してきた。全ての資源を、日常の循環システムに回収していく、今回のプロセスはまことアッパレ! だ。
昨日の手旗信号を送っていた生徒たちに代わって、いまは筏の上に荒樫の木の枝を立てる作業が続いている。水の集落に、「人間の営み」を表す水の家と、「自然の営み」を表す山から切り出した木の枝を、積み込もうというのである。カヌーを足代わりに、ものを運ぶ者。安定の悪い竹の上で、荒樫の固定に精を出す者。筏どうしを縛るロープをチェックする者。<水の集落>の住人たちといった振る舞いだ。橋の上かの観客には、住民たちの一挙手一投足が眼下にあって、筋書きのないドラマを見ているような、ゆったりとした緊張感がある。
橋の欄干にもたれ、河口に目をやる。立神岩の不思議な佇まいに魅せられて、目を細めると、東シナ海の懐に誘い込まれる気がする。ここ枕崎は、東シナ海を経て、黒潮文化圏にのり、世界にメッセージを発信する、格好の起点となったにちがいない。
そんな環境の直中にいると、環境アートとかコミュニティ・アートとかいった言葉が、とても貧弱に思えてくる。
そうだ、
「地球アート」と呼ぶことにするか-----

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