芝川再生アートプロジェクト
水箱アートミュージアム構想 2006
BridginG展〜アートで繋ぐ〜
11/17〜12/3,2006 埼玉県川口市
アートから
地球環境の保全のために
新しい権利を
創造する
環境居住権の提案
Water Trust


提案-01 提案-02
両端の水門が閉じられた閉鎖河川
旧芝川5.8kmの再生に
環境アートが挑む
2つの提案と実験
「川」と「水」は、同じ次元ではない

旧芝川の再生をテーマに、テレビ番組が作られることになった。フジテレビ系の「素敵な宇宙船地球号」という、環境問題をテーマとしているらしい番組だ。当初は、私が提案した「旧芝川は、17の水箱が連なったもの」という発想に喚起されたとかいう話で、2005年の「Waterユs-Eye」展の取材などに協力することになった。しかし、次第に、即効的な結果を求めるテレビ・メディアの発想が、鼻についてくる。実際に、旧芝川に水箱を設置し、中のヘドロを掻き出すシーンを撮りたい、という提案には呆れて、「そういうあなた自身が、やれば」と言い返した。この旧芝川問題の困難さを、何故直視しようとはしないのか。結局、プロダクションが独自に再生プロジェクトを組織し、各地から「水質改善・浄化の達人」を集めることになったようだ。炭素棒を使って水質浄化に取り組む人、植物に有機物を吸収させて浄化しようという人、など。放映された番組は、「これで芝川はきれいになるだろう」といったセリフで終わる、一件落着の構成である。実際、テレビ撮影用の水質浄化の実験現場を、何度も訪れている者には、この種のまやかしで済む現実の仕組みに、またかと嘆かわしくなる。考えてほしい、10メートルほどの範囲を囲って、水質浄化に一時成功したからといって、「あなたらが取り組んでいるのは、水あるいは水たまりであって、川ではない」。旧芝川5.8キロメートルが、問題なのだ。案の定、放映が終わるとまもなく、水質浄化の実験現場は撤去され、元の木阿弥。旧芝川から始めに学んだことは、「水」と「川」とは同次元のことではないということだ。川の水は以前よりきれいになったという人、いやもっと汚くなったという人、その論議をいくらやっても「川」の次元には届かない。「川なるもの」を丸ごととらえる必要が、ここにはある。
旧芝川からの提案
Water Trust -------- 01
'Bridging'展からの提案
Water Trust ------- 02
「川」と「人」との相関図として

アシなどの植物を植える、川をきれいにするために毎朝掃除をする、月に一度は川のゴミ拾いをやる、これらの人の努力によって、荒れ果てた川が、元気になり、川で遊んだ懐かしい時が戻ってくることがある。しかし、人の力で、川を再生した、と驕ってはいけないだろう。川の再生に、手を貸した、に過ぎない。川のもつ自浄力を発揮する環境を整備したと言うべきか。しかし、自浄力を失った川は、回復力の萎えた身体と同じで、人間の知力・体力の限りを尽くしても、自浄力を回復するのは無理なようだ。旧芝川のように、両端が閉じられた閉鎖河川で、ヘドロが川底全体に堆積した川の場合は、回復力の期待出来ない末期症状と言えるだろう。しかし、川は、生物の身体と違って、死ぬことなく、生き続ける。川というものは、一体全体、何なのか、と問わざるをえない。旧芝川の川面には、結構鳥がいる。植物も、四季折々に育っている。川との共存の方程式が、成立している。しかし、人間は、川をいじくりまわす征服の方程式は持ちえても、いま求められている共存の方程式は苦手か、身についていない。川とは、人工に対する自然のひとつというのは、かっての物理的な方程式だろう。いま必要なのは、「川」と「人」との相関図としての、概念的なものである。人と川が相互関係をもたない場合は、川とは呼ばないことにしたい。さて、旧芝川の場合、共存の方程式は成り立ちえるのか。そこで、「水箱アートミュージアム構想」という共存の方程式を導入することにした。

Water Trust---01
旧芝川からの提案
Water Trust---02
'BRidginG'展からの提案
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