22nd International Festival Sarajevo
Sarajevo Winter / The Light
The United Waters in Sarajevo

トルコ文化センター、ミリャッカ川、サラエボ市内 / ボスニア・ヘルツェゴビナ
2006年2月

Sarajevo Winter 2006のプログラム『Change Cocept』展(Nine Dragon Heads企画)への参加のため、サラエボに、2/4から10日間滞在
サラエボ・ノート Sarajevo Note

「私という日本人」に出来ること

出発前に、サラエボ・オリンピックでメインテーマ曲を歌った歌手のヤドランカから、サラエボに住む病気の妹のために薬を届けてほしい、と頼まれた。彼女とは、鹿児島でのアートプロジェクトに、1997年頃から、何度か一緒に招待されて以来だから、久しぶりの再会であった。今回私が参加する「Sarajevo Winter 2006」は、オリンピックのディレクターであったイブロが中心となって、毎年開催されている国際的な芸術文化イベントであること。そして、開会式などで、必ずイブロに会うから、話すといい------、ヤドランカとの話が、サラエボを初めて訪れる者にとっては、希少な生きた情報である。その後、薬は、先にサラエボに行く学生に預けたということで、私はイブロに挨拶することだけを約束した。そして、2月4日、オーストリア航空で、ウイーンを経由して、サラエボ空港に着いた。

今回の、「Sarajevo Winter 2006」の参加は、韓国のパクさん(Park Byoung-uk)が組織するNineDragon Headsによる「ChangeConcept」展である。9人の参加アーティストというから、私はまさに九頭龍の、ひとつの頭ということになるか。そして、バスの車窓から、サラエボ市内の商店街などで、いまだ銃痕の跡が生々しく残る建物を目にすると、1992年に始まったボスニア戦争のすさまじさが、内戦の爪痕の深さが、容赦なく頭の上にのしかかってくる。九頭龍の、ひとつの頭は、「私という日本人」であり、生温い脳味噌に何が出来るか。という問が押し寄せてくる。

「平和的共存」を願って

しかし、生温いはずの頭も、積雪が増え、全ての景色が白一色になると、冴えわたってくるのだろう。トルコ文化センターでの室内展示「TheUnited Waters」の設置を終えた後、「サラエボの町と、丸ごと対峙したい」という欲求が俄然持ち上がってきた。パクさんからは、サラエボは、会期中はオープン・スペースなので、何処でなにをやってもいい、次は野外展示をやってくれ、と催促される。宿泊しているホテルのレストランに、参加アーティストが集まり、冬季オリンピックのスキー会場となった山に行き、なにかやろうと、話しがまとまった。しかし、私は参加を断った。サラエボの町と丸ごと対峙したいという欲求がむらむらとこみ上がってきて、私は他の人とは逆方向に、ホテルからバスで30分、市街地に向かった。バスを降りると、早速、持参した滑り止めの金具を靴に取り付ける。石畳の道が多いので、金具がぶつかって歩きづらい。が、滑ってひっくり返ると、それこそ大事だ。恐る恐る向かったのは、サラエボの中心地を流れるミリャッカ川である。。

サラエボは、オスマン帝国時代、そしてオーストリア=ハンガリー二重帝国支配時代を通じて、複数の民族と宗教等が混在・共存している。ムスリム人、セルビア人、クロアチア人、ユーゴスラビア人など。サラエボ市の中心地は、ミリャッカ川に沿って細長く発展した地域であり、ミリャッカ川の東端にある旧市街は、オスマン帝国統治時代より発展し、多民族が融合した商業地域である。
川に沿って歩くと、その多層に絡み合った時間が、絵巻物のように浮かび上がってくる。

ミリャッカ川沿いの「The United Waters」プロジェクトは、SKENDERIJAという広場から始めることにした。譜面台を広場の真ん中に立て、「The United Waters」の文字を譜面として置く。The United Watersのメッセージを介して、紛争と混乱に満ちた世界の、平和的な共存への道を訴えたい。
1995年のことだ。国連50周年記念アートカレンダーを構成する「世界の12人のアーティスト」のひとりに選ばれた時、私は[The United Nations]に対して、[The United Waters]を提案した。国という単位ではなく、個という単位を地球民のひとりとして認識し、[The United ---] のイメージを実感する必要があること。「地球上の全ての水は、つながっている」という現実感をもって、地球民としてのアクションを具体的に想起すること。その想いを、[The United Waters]に託し、国連憲章の序文をもじって、次のような文をカレンダーに添えた。

We the Peoples are to realize why water,
that is so full of life to us, is our medium
for moving the borders, in everyday customs,
histories, various cultures and so forth,
simplifying to a profound exchange
between human being and human being.


ミリャッカ川に沿って、雪道を歩く。止まっては、積もった雪の上に、杖を筆代わりにして、The United Watersと、狭い場所では略してU.W.と書き残していく。橋げた、堤防の上、凹み、雪がたっぷり積もっている場所なら、何処でもいい。そのThe United Watersの文字と、川、そして対岸の建物が入った風景を、パノラマのように、順に撮影していく。丘に近づき、建物が邪魔して、これ以上川沿いに歩くのは、困難なところまで来た。1km近くは、歩いたろうか。あとは、平和的共存のメッセージをこめて、長大な絵巻物として、まとめてみたい。 The United Waters from Sarajevo。「私という日本人が、サラエボという町とまるごと向き合う」、サラエボとの始めての出会いは、終わった。

帰国の途中で、ウイーンに立ち寄った。オーストリア政府給付生としてウイーン大学で研究生活を送る息子の喬と、ひとときを過した。ハプスブルグ家の栄華と権威が色濃く残る一帯に足を踏み入れると、息子はこのあたりは嫌いだ、と呟いた。私も、あのさまざまな民族が織りなすサラエボの旧市街を、既に懐かしく思い始めている。平和的共存というテーマに、どこまで迫れるか。ますます問は、大きくなった気がする。

part-1 [ Change Concept] 展 展示
The Unted Waters: We all be--トルコ文化センター、サラエボ
2 / 8 〜2 / 14, 2006
トルコ文化センターの入口。道路のレールは、市内電車のもの
Sarajevo Winter 2006 の記念撮影の光景
サラエボ・プロジェクト『The United Waters』は、トルコ文化センターでの展覧会だけでは事足りず、サラエボ市内、ミリャッカ川沿いと、プロジェクトの内容を拡張した。

●part-1 The United Waters: We all be--
(トルコ文化センター)
●part-2 平和への[水の眼 U.W.]
(ミリャッカ川沿い、サラエボ市内)
●part-3 Sceno-conductor 景観指揮
(ミリャッカ川沿い)

part-2 野外アートプロジェクト
平和への『水の眼  U.W.

ミリャッカ川沿い、サラエボ市街地
サラエボの市街地を歩くと、壁に銃痕の跡が生々しく残る光景に出くわす。
銃痕から覗くのは、すさまじい内戦の爪痕の深さか---、私が出来ることは、平和への祈願をこめて、「水の眼」で街を見ることだろう。
U.W.(The United Waters)の文字を風景に書き加えて、「水の眼」の写真を撮りまくった。
譜面台には、土を盛った額縁を載せてある。よく見ると、土の上に、UNITED WATERSの文字が刻まれている。11人の水主から延びるビニールホースは、水の入ったバケツに集められ、そこから更にホースは譜面台へと延びている。枯渇した土壌に水をやっているように見れる。
譜面台の前に立つ
指揮者が現われるならば、11人の水の提供者に、水の適切な分配を指揮することになるだろう。
トルコ文化センターの室内展示が完了すると、表に出て、前の広場に積もった雪の上に、UNITED WATERSのメッセージを書き残した。
雪の上に、杖をペン代わりにして、『U.N.』『United Waters』の文字を書き残す。
part-3 野外パフォーマンス
Sceno-conductor 景観指揮
ミリャッカ川沿い
譜面台には、「2006年2月8日 サラエボにて。池田一による宣言」と題して書かれた、The United Watersの宣言文が、譜面として載せてある
The United Waters We the people of the United Waters determined to save succeeding generations from the shortage of water and to reaffirm faith in fundamental human rights,----

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